全国制覇は次に期待
2018年12月05日
6回を終え、互いに放った安打は1本ずつ。1-0とリードしているものの、この頃から札幌大谷打線は鋭い打球をはじき返す感じが見られ、その後のベンチワークが見所となった。 7回、依然星稜打線は相手投手の変化球に翻弄され、本来のスイングをさせてもらえない上にフライアウトが目立ち重苦しい雰囲気が続く。その裏、2死2,3塁のピンチでタイムリーヒットを打たれ、1-2と逆転を許す。2年生エースが継投し後続を断ったものの、その後も星稜打線は最後まで相手投手を攻略できず試合終了。 27年ぶり3度目の優勝は叶いませんでしたが、後輩諸君は故障者も抱え万全なコンディションとは言えない中でも躍動してくれました。
優勝には一歩及びませんでしたが、間違いなく星稜の存在感は全国に伝わりました。明治神宮大会の決勝という舞台まで関わった全ての皆さんが必死に戦い抜き、結果破れはしましたが敗戦から学ぶ収穫は皆さんの大きな財産です。
春の選抜甲子園大会に向けて、引き続き今という一瞬一瞬を大切に過ごし、新たな歴史を刻んでもらいたいと願っております。
ご縁を感じ、感謝の気持ちを込めてお手伝い
2018年08月01日
先般の豪雨によって甚大な被害を受けた岡山。幸いにも息子が住まいする地区は大きな被害はなかったものの、避難勧告や避難指示が発令され心配でなりませんでした。
そんな中、甲子園出場を目指して戦う岡山県予選では息子が進学した高校は順調に勝ち上がり、準々決勝と準決勝の二試合を現地で応援しようと、車中泊を覚悟で弾丸ツアーを企画し岡山へ向かいました。 試合結果によっては日帰りも考えられる中、準々決勝を無事突破。しかし準決勝は二日後。準決勝前日の一日は、息子を育ててもらう岡山への恩返しも込めて、お隣の倉敷市で災害ボランティアを行うことを決心しました。
翌日、倉敷市災害ボランティアセンターには、開門時間のかなり前に到着。 ボランティア登録を済ませた後、5人1組のグループに分けられ、リーダーとタイムキーパーを決め、送り出しの儀式を行いました。
私はタイムキーパーに任命され、20分作業して10分の休憩を徹底させる重要な役割を担うことに。 活動にあたっては、全員に対し以下の注意指示を受けました。
「泥には下水や川の水が含まれ、食中毒や破傷風などの原因菌がいることがあるため、肌を露出しない服装に加え、ゴーグル、分厚い作業用手袋、粉塵マスクは必ず着用してください」
送迎バスへ乗り込み、15分ほどでメディアでもかなり多く取り上げられていた倉敷市真備町に到着。道中、すでに豪雨から20日経過しているにもかかわらず、車窓からは素人目にも復興が全く進んでいない状況を目の当たりにしました。
細い裏路地をはじめあちこちに仰向けになった乗用車が。さらに周りを見渡すと立ち並ぶ住居のほとんどは1階が壊滅状態。
連日の猛暑で泥土も乾き、散水車が主要道路に水を捲く光景も見られました。
真備町公民館前でバスから降り、ボランティア支援を求める地元の方とグループのリーダーが話し合い、受け入れ先を決定。
被災地に来て果たして力になれるのかという心配や不安と同時に、中途半端な気持ちではボランティアは務まらないと気合いを入れ直しました。
私たちのグループが担当したのは昔ながらの土壁の一軒家。家屋の1階には畳の4部屋とキッチンがありました。
土嚢袋に土を詰める者、水分を含んだ重たい畳を運びやすく切断する者、家財道具や電化製品を運び出す者、それぞれの役割をこなすにも慣れない作業ということもあり、グループの全員が10分や15分経過した段階でかなり疲弊した様子。
そこでタイムキーパーの特権で早めの休憩タイムを通達。
休憩中にはグループ内の方とも打ち解け、どちらからボランティアに参加しているかなどを話しました。私たち以外は全て岡山の方ということで、石川からの参加であることを告げたところ皆さん当然興味をもってこられ、実は息子が・・・と説明すると、一同、「じゃあ、息子さんの高校を応援するね」と。
役立ちたいとの気持ちでボランティアに参加しましたが、逆に元気をいただきました。
その後も休憩をとっては続けて次の作業を行う、という繰り返し。 12時45分、家屋の主人に感謝されながら作業完了となりました。 最後はゴム手袋や長靴の中から汗が水のようにシャーっと流れ出るほどに。
公民館に戻り既に待機していたバスに乗り込む頃にはもうグッタリ。
休憩時間に補給した水分を計算したところ、2Lの緑茶と500mlの麦茶と頂き物のスポーツ飲料500mlの計3Lを僅かな時間で飲み干したことに!
ボランティアセンターに帰ってきてからは長靴などの消毒が義務づけられており、消毒後一服しようとしたところ煙草が汗で水没して吸うことさえできず。 そんなこんなで無事ボランティア活動を終え、自身にとっても大変貴重な体験となりました。
最後に、まだまだ復興にはほど遠いですが、一刻も早く被災者の皆様が通常の生活に戻れるよう、心よりお祈り申し上げます。
そんな中、甲子園出場を目指して戦う岡山県予選では息子が進学した高校は順調に勝ち上がり、準々決勝と準決勝の二試合を現地で応援しようと、車中泊を覚悟で弾丸ツアーを企画し岡山へ向かいました。 試合結果によっては日帰りも考えられる中、準々決勝を無事突破。しかし準決勝は二日後。準決勝前日の一日は、息子を育ててもらう岡山への恩返しも込めて、お隣の倉敷市で災害ボランティアを行うことを決心しました。
翌日、倉敷市災害ボランティアセンターには、開門時間のかなり前に到着。 ボランティア登録を済ませた後、5人1組のグループに分けられ、リーダーとタイムキーパーを決め、送り出しの儀式を行いました。
私はタイムキーパーに任命され、20分作業して10分の休憩を徹底させる重要な役割を担うことに。 活動にあたっては、全員に対し以下の注意指示を受けました。
「泥には下水や川の水が含まれ、食中毒や破傷風などの原因菌がいることがあるため、肌を露出しない服装に加え、ゴーグル、分厚い作業用手袋、粉塵マスクは必ず着用してください」
細い裏路地をはじめあちこちに仰向けになった乗用車が。さらに周りを見渡すと立ち並ぶ住居のほとんどは1階が壊滅状態。
連日の猛暑で泥土も乾き、散水車が主要道路に水を捲く光景も見られました。
真備町公民館前でバスから降り、ボランティア支援を求める地元の方とグループのリーダーが話し合い、受け入れ先を決定。
私たちのグループが担当したのは昔ながらの土壁の一軒家。家屋の1階には畳の4部屋とキッチンがありました。
土嚢袋に土を詰める者、水分を含んだ重たい畳を運びやすく切断する者、家財道具や電化製品を運び出す者、それぞれの役割をこなすにも慣れない作業ということもあり、グループの全員が10分や15分経過した段階でかなり疲弊した様子。
そこでタイムキーパーの特権で早めの休憩タイムを通達。
役立ちたいとの気持ちでボランティアに参加しましたが、逆に元気をいただきました。
その後も休憩をとっては続けて次の作業を行う、という繰り返し。 12時45分、家屋の主人に感謝されながら作業完了となりました。 最後はゴム手袋や長靴の中から汗が水のようにシャーっと流れ出るほどに。
公民館に戻り既に待機していたバスに乗り込む頃にはもうグッタリ。
休憩時間に補給した水分を計算したところ、2Lの緑茶と500mlの麦茶と頂き物のスポーツ飲料500mlの計3Lを僅かな時間で飲み干したことに!
ボランティアセンターに帰ってきてからは長靴などの消毒が義務づけられており、消毒後一服しようとしたところ煙草が汗で水没して吸うことさえできず。 そんなこんなで無事ボランティア活動を終え、自身にとっても大変貴重な体験となりました。
最後に、まだまだ復興にはほど遠いですが、一刻も早く被災者の皆様が通常の生活に戻れるよう、心よりお祈り申し上げます。